北軽井沢の四季 5月25日号
草軽電鉄を訪ねて
   
北軽井沢駅前
え?北軽井沢に駅があったっけ?と知らない方は思うでしょう。あります。正確にはかつてありました。軽井沢と草津温泉を結んでいた「草軽電鉄」の中間駅が北軽井沢でした。当時は軽井沢と浅間高原を結ぶ主要交通手段で、草津温泉への客もほとんどこの鉄道を利用していたそうです。しかし、長野原線(現在の吾妻線)の開通、自動車道の整備、台風による線路の被害などで経営が困難になり、昭和37年に全廃されました。駅や線路はほとんど残っていませんが、この北軽井沢駅だけは今も当時のまま残っています。この駅は映画「カルメン故郷に帰る」にも登場します。私の山荘がある場所にも「栗平」という駅がありました。

当時の時刻表路線図
軽井沢から嬬恋・上州三原(現在の万座鹿沢口)を通って、確かに草津温泉まで鉄道の記号があります。そのほかにも、横川・軽井沢間に「熊ノ平駅」、渋川から伊香保へも鉄道の記号があります。吾妻線も長野原までしか開通しておらず、現在は廃止された太子支線も見えます。いわば鉄道考古学の資料といえる地図です。では索引通り、279ページを見てみましょう。

当時の草軽電鉄の時刻表
昭和31年当時の時刻表の279ページです。1日6往復と、田舎の軽便鉄道としては本数が多く驚きます。実際は三笠あたりまで区間運転もあったそうです。新軽井沢というのは現在の軽井沢駅前の草軽交通のバス停です。国境平というのは文字通り長野と群馬の境目にあった駅で、今でもその跡が残っています。軽井沢〜北軽井沢間は約1時間半、草津温泉に至っては3時間以上かかっています。これはトンネルを一つもつくらず、等高線に平行にくねくね曲がりながらの路線だったからです。

草軽電鉄の線路跡
当時の線路のあとは40年の年月を経て、そのほとんどが自然に戻っています。しかし、長野県側は林道や自動車道として、群馬県側では別荘地の中の小道として少し生き残っています。この大学村のはずれの道もその一つで、線路を敷けば今にも列車が来そうです。

草軽電鉄の機関車
「電鉄」といっても軌道の幅が80センチもない、軽便鉄道でした。そこをこのすごい姿の機関車が車輪をきしませながら客車をひいていたのです。その形から「カブトムシ」の愛称で親しまれていました。これは草軽交通が開業90周年を記念して限定発売した模型です。実は「チョロQ」で、引いて離すと勢いよく走るのでなかなか楽しいです。チョロQ愛好家の間では「超レア」ものだそうですが、今なら入手可能ですのでどうしても欲しい方はご一報ください。

北軽井沢写真集CD

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